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聖書とは?神とは?イエス・キリストとは?

ここではなるべく簡潔に、わかりやすく説明していきたいと思います。

聖書とは?

聖書とは、その名の通り、聖い書物です。なぜ聖いのでしょうのか?聖書には、「聖書のみことばは、全て神の霊感によって書かれたもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(テモテの手紙第二3章16節)」と書かれています。つまり、聖書は、完全に聖いお方であられる神の霊感によって書かれた神御自身の聖いことばであるのです。そして、そこに書かれていることばは、神が私達人間に意図された最も豊かな人生を送るためにはどうしたら良いのか教え、私達の人生を導いてくれる有益なことばであると言うことなのです。

聖書は他のどんな書物とも異なっています。天地創造からイエス・キリスト誕生前、つまり紀元前までに書かれた旧約聖書と、イエス・キリスト誕生、つまり紀元後に書かれた新約聖書から成り立っており、その内容は、(1)天地創造からの人類の歴史、(2)神の基準・律法、教え(3)神への賛美・詩、(4)神からの預言、(5)神からの良い知らせ(福音・ゴスペル)から成り立っています。そして、40人の著者によって書かれた66巻の書物が1冊の書物となっているのです。40人の著者によって、千年以上の歳月を経て一貫したテーマについて書かれている事自体が、「神の霊感によって書かれた神のことばである」ことを証明しています。神はこの聖書を通して人間に語っておられるのです。神とはどのようなお方であられるのか、神は人間にどのような目的を持っておられるのか、神は私達人間に何を望んでおられるのか、ぜひ聖書を読んで知っていただきたいと思います。

神とは?

神とは、人間ではなくて神ですから、偽ることがなく、悔いることもなく、変わることもありません。限界のある不完全な人間と違い、不可能のない完全なるお方です。聖書の一番初め、創世記1章1節には、「初めに、神が天と地を創造した。」と書いてあります。つまり、神とは、初めから唯一独自に存在されているお方であり、この宇宙、そして人間を含む全ての生物を創造された創造主であると言う事です。時間と空間を超えて存在し、超自然的に無から有を呼び起こす事のできる全能なるお方です。そして、神は昔から今も、また永遠に存在されるお方であって、永遠に全てを支配しておられます。テモテへの手紙第一6章15-16節では、神のすばらしさをこのように表現しています。「神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくことのできない光の中に住まわれ、人間が誰一人見たことのない、また見ることのできない方です。誉れととこしえの主権は神のものです。」

神は霊です(ヨハネの福音書4章24節)から、目に見えません。では、どうしたらわかるのでしょうか。聖書には、「神の目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる(ローマ人への手紙1章19節)」と書いてあります。マクロの世界、宇宙の構成を見てください。ミクロの世界、人間の構造を見てください。創造物の見事なデサインから、それらを英知を持ってデザインされたすばらしい創造主である神の存在がわかります。

また、神のことばである聖書を読む事からもわかります。聖書には「さらに確かな預言のみことば」(ペテロの手紙第二1章19節)、つまり未来の事を語った「預言」が多く書かれています。その預言の中で、神ご自身が人間にこう語っておられます。 「あなたがたの訴えを出せ、と主は仰せられる。あなたがたの証拠を持って来い、持って来て、後に起ころうとする事を告げよ。先にあった事は何であったかを告げよ。そうすれば、われわれは、あなたがたが神であることを知ろう。・・・わたしが神である。ほかにはいない。わたしは終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事を全て成し遂げる』と言う。」(イザヤ書41章21−23節、46章9、10節) 聖書の中で語られた預言は100%の確率で成就してきました。歴史を通して数多くの聖書の預言が成就してきた事実こそが、聖書の神が本当に神である事の証拠です。

また、神の御子なるイエス・キリストを知る事からもわかります。聖書は、「御子(イエス・キリスト)は見えない神のかたちである」(コロサイ人への手紙1章15節)と説明しています。イエスの弟子達が父なる神を見せてほしいと願った時、イエスは、「わたしを見た者は、父(神)を見たのです。」(ヨハネの福音書14章9節)と言われました。あなたは神を見たいですか?神を知りたいですか?それではイエスを見てください。イエスを知ってください。

イエス・キリストとは?

イエス・キリスト。これは名字と名前ではありません。イエスは名前。キリストはタイトルです。イエスは「神は救い」という意味の名前です。キリストは、ヘブル語の「メシア」がギリシャ語で「クリスト」と訳され、それが日本語では「キリスト」と音読みされて訳されているのです。意味は、「油注がれた王、救い主」です。ですから、「将軍」と言えば、タイトルで、どのような者かわかるように、「キリスト」と言えば、そのお方は「王であり救世主である」と言う事がわかるのです。ですから、私達が「イエス・キリスト」と言う時、私達は、「私達人間の王の王、主の主なる神であり、救い主であられるイエス」と言っているのです。

実際、約二千年前にユダヤのナザレでお生まれになったイエスは、そう呼ばれるのにふさわしいお方です。ヨハネの福音書は、このお方のことを非常にわかりやすく説明し、単刀直入に、「初めから存在し、神と共に存在し、神御自身であられるお方なのに、人となって人間の世界に来て下さった」と言っています。つまり、イエスは、霊であられる神が、人間の姿を取って現われてくださった、神御自身であられるのです。

「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を解き明かされたのである。」(ヨハネの福音書1章18節)

「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われである。」(ヘブル人の手紙1章3節)

聖書のテーマは、一貫して「救い主なる神、イエス・キリスト」です。つまり、イエス・キリストの福音(良い知らせ)です。では、何が良い知らせなのでしょうか?

聖書が語っているイエス・キリストの福音(良い知らせ)とは?

聖書は、「人間には一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙9章27節)と言っています。

実際、人類の歴史上、生き続けている人間はいません。全員死んでいます。でも聖書は、死が存在の終わりではなく、死後に皆が神の前に立って裁きを受けると言っているのです。

聖書は、「全ての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない」(ローマ人への手紙3章23節)と言っています。

実際、全てをご覧になられる完全なる神の前に、自分は完全に正しいと言える人間などいません。神の前に私達はみな罪人です。

聖書は、「罪から来る報酬は死です」(ローマ人への手紙6章23節)と言っています。

神に罪を犯した結果は、神の裁きによる死です。つまり、私達の魂が肉体を離れた後(死んだ後)、私達の魂が永遠に神から引き離されてしまうのだと言っているのです。

聖書は、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書3章16節)と言っています。

神に対して罪を犯した全人類を救うために、神はそのひとり子なる御子イエス・キリストを与えてくださいました。神は愛です。私達が神に対して反抗し、罪を犯したにも関わらず、神は私達人間を子として愛してくださっているのです。「しかし私達がまだ罪人であった時、キリストが私達のために死んでくださったことにより、神は私達に対する御自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5章8節) 神は聖です。私達を愛して救いたくても、完全なる義であり、完全に聖い神は、罪に対して妥協する事はできませんし、罪と共存する事もできません。人間の罪とその報酬が取り扱われる必要がありました。そこで、神はひとり子を私達の身代わりにしてくださったのです。 「なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。」(レビ記17章11節) 「神は、罪を知らない方を、私達の代わりに罪とされました。それは、私達がこの方にあって、神の義となるためです。」(コリント人への手紙第二5章21節) イエスは十字架の上で、このようにとりなして祈ってくださいました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカの福音書23章34節)

聖書は、「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ人への手紙8章1節)と言っています。

私達の罪はイエスの十字架によって全て帳消しになりました。イエスの罪なき尊い血が流されたために、私達が神に対して犯した全ての反抗・罪は赦されました。しかし、それだけではありません。もっとすごい恵みが与えられました。

聖書は、「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(ヨハネの福音書1章12節)と言っています。

イエスは死んでよみがえりました。死に勝利して復活されたのです。イエスを信じ、その名を受け入れた者は、イエスが死んで生き返ったように、今の世でも死んだ後の世でも、神のこどもとして永遠に神と共に生きるのだと約束しているのです。イエスは言われました「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネの福音書11章25節) 素晴らしい永遠のいのちの約束です!

聖書は、「人は、心で信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ人への手紙8章1節)と言っています。

あなたもイエスを信じて神のこどもとなることを祈ります。なぜなら、素晴らしい約束はこれだけではありません。聖書の中には、神のこどもとなった者に与えられる嬉しい約束がたくさん書かれています。あなたが宝探しをするように聖書を読み、たくさんの素晴らしい約束を発見しますように祈ります。

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